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高松高等裁判所 昭和57年(ネ)103号 判決

昭和五七年(ネ)第一〇三号事件控訴人、

同年(ネ)第一〇六号事件被控訴人(以下、原告という)

甲山トリコ

右訴訟代理人

中村詩朗

平井範明

宮崎浩二

昭和五七年(ネ)第一〇三号事件被控訴人、

同年(ネ)第一〇六号事件控訴人(以下、被告という)

香川県

右代表者知事

前川忠夫

右訴訟代理人

立野省一

外四名

主文

一  原告の本件控訴を棄却する。

二  被告の本件控訴にもとづき原判決を次のとおり変更する。

1  被告は原告に対し、金七三万八七一六円及び内金六三万八七一六円に対する昭和五四年一一月二三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  申立

一  昭和五七年(ネ)第一〇三号事件につき

(原告)

1 原判決を次のとおり変更する。

2 被告は原告に対し、金三八三万二八九二円及び内金三三三万二八九二円に対する昭和五四年一一月二三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする。

4 仮執行の宣言

(被告)

本件控訴を棄却する。

二  昭和五七年(ネ)第一〇六号事件につき

(被告)

1 原判決中、被告敗訴の部分を取り消す。

2 原告の請求を棄却する。

3 訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。

(原告)

本件控訴を棄却する。

第二  当事者双方の主張は左に付加するほか原判決の事実欄第二に記載のとおりであるからそれを引用する。

(原告)

一  原告の本件傷害による後遺症が自賠法施行令別表後遺障害等級一二級相当である点の主張を、次のとおり敷衍する。

1 原審で医師辻松純義は、原告の右手薬指の骨折箇所は二か所あり、その部位は一か所が右手薬指の下から二番めの関節面の指の先に近い方(第二節)であり、もう一か所は同指の第一節であることその結果、右手薬指は湾曲、強直がひどく握力もなく機能を有していないこと右手薬指の付け根の軟部組織に損傷をおつていたと推認され、また薬指と小指の相乗作用により小指も腱鞘炎を起こし強直の状況にあり、機能障害を起こしていると証言している。

2 原告は昭和五四年九月五日向山整形外科医院で右手指の診断を受け、レントゲン撮影を受けていたが、同医院においても右手薬指が二か所骨折し、変形治ゆ、拘縮し、さらに小指も拘縮状態にあつたことが認められている。

同医院におけるレントゲン写真においては、右手薬指の二か所骨折のほか小指の異常も指摘されている。

3 原告の症状固定以降の日常生活の不便

(一) 原告の右手薬指は、現在くつついているだけで握力もなく全く用をなしていない。かえつて右手薬指が大きく中指の方へ湾曲しているため、三本の指(母指、示指、中指)で用をなすときひつかかつてじやまになりどうしようもないので、包帯でしばつて固定している。

右手小指も強直し全く用をなしていない。しかも、右手の残りの三本の指でものを握ると、薬指と小指の付け根ひいては手首のあたりまで痛みが走る。

(二) したがつて、原告はふとんの出し入れに大変苦労し、掃除の時、右手でほうきをもつてもゴミをチリ取りにうまく入れられず、食事のときも魚の身は散らかしながら食べる有様だし、米をとぐとき右手薬指と小指がじやまでうまくいかない。

4 原告の傷害を診断した医者自身が右手薬指は二か所骨折し、湾曲、強直がひどく握力もなく機能を有していないと断言して、自賠法施行令別表第一二級九号に該当するといつているのであるし、原告の場合はそのうえ、右手小指も強直し、機能を有しないので、労働能力喪失率を五パーセント(自賠法施行令別表第一四級八号該当)とする原判決は不当である。

二  原告に公務執行妨害がなかつたことを次のとおり主張する。

1 林清一(以下、林という。)が逮捕される直前の同人ならびに原告の行動

(一) 林と尾形博(以下、尾形という。)の駐車をめぐるけんかが一段落した後、林は広場の方へ、尾形は南の方へそれぞれ車を置きに行つたが、尾形は車を後退させる前に林に対して「仲間を呼んでくる」旨の捨て台詞的言辞を吐いていた。

(二) その後、林が広場の中央よりやや東付近に自分の車を駐車させて降り、広場入口(西北側)へ向つて歩いている時、入口の付近に野次馬とともに、長い背丈ほどある棒を振りかざした人物(これが高橋秋雄巡査部長―以下「高橋」という―であつた。)が「どいつや!」と林に方に向つて叫んだ。

これを見た林は、てつきり尾形の仲間がけんかの仕返しにきたものと誤信し、けんか腰になり「やるなら来い」「やれるもんならやつてみい」とやかましく大声でわめき散らした。

これに対し、高橋は汚ない口調で「やつてやろうか」と言い返して互いに言いあいになつた。

高橋は、私服であるにかかわらず長い棒を構え、林に対し自分が警察官であることも告げず、いきなり同人とやくざまがいの口げんかをはじめた。

(三) ちようどこの高橋と林がむかいあうかつこうで激しいやりとりをし、林が高橋に手を出さんばかりの雰囲気になつたとき、原告が林の前へ出ていき腰のあたりに抱えつき、阻止に入つた。

原告は、林と高橋が激しいやりとりをして、林が高橋の「おどれ、来るんなら来い。」の言葉に誘発されて、高橋にむかつて広場の中央の方へ走り出したのをみて「何しよんな」といつて林の体を押し返した。

(四) しかし興奮していた林はてつきり高橋ないしその付近にいた私服の警官を尾形の仲間と思いこんでいたらしく「ようけ呼んできやがつて」と原告の手を振り切つて高橋らの方へ走り出したので、原告は今度は林の背後からくらいついてこれを後ろ向きにさせ押したのである。

この時、原告は林に対して「相手は誰やと思とんな警察官が来とんやで」「警察官に対して何ちゆうことしよんで」と林の誤解をとくべく必死で説得した。

原告の右説得で、林ははじめて相手が警察官であることに気づき、「何、警察」と言つて急に力が抜けたようになつておとなしくなつた。その時、林の方を向いていた原告の背後から高橋がやつて来て、「おどれ、こつち来い」と言つて原告の左腕をとりひつぱつて林の所から離したのである。

2 原告の受傷時の状況

原告が高橋に左腕をひつぱられた際抵抗したこと、原告はいきなり高橋に左腕をねじあげられ、ひきずられた時、非常な激痛がしたので、「はなしてくれ。」「痛いけん離してくれ。」と叫んだ。この時、原告はあまりの痛さに耐えかねて右腕で高橋のどちらかの腕をつかんで必死であつた。同人の服をひつぱつているかもしれないし腰に食らいついたかもしれない。

この場面の状況は原告が「あの人は犯人でないので捕えたらいかんのや」と言つたという点は別として、客観的には原審における高橋の証言と一致する。

ただし、高橋が原審公判廷で演技したように、同人が右手だけで原告の左腕手首をねじつたのでなく、両腕で原告の左手首とひじ付近をもつてねじり倒したのである。高橋は被疑者を逮捕せないかんと焦つていたので、原告があまりの痛みにくらいついてきているのを片手で押し倒すとは考えられない。

3(一) 原告が公務執行妨害行為をしたとの点について

本件において原告と高橋が接触し短時間の間「もみあつた」事実は当事者間に争いはない。問題は最初に原告が高橋の方に手を出したのか(いわゆるじやまをしたのか)、それとも高橋が林を逮捕せんとする時、前に原告がおつたのでこれを排除しようとしてその腕をひつぱつてねじり倒したかである。

しかし、これを高橋の側からみると、原告が林の前におつた事自体も逮捕のじやまと見えたのではないか、まして本件では高橋が原告の左腕をひつぱつた時、原告はその痛さに悲鳴をあげ、右腕で高橋の腕をつかんだか服をひつぱつたかして抵抗している。これは、高橋の側からすれば林に対する逮捕行為の妨害以外何ものとも思われなかつただろう。高橋は、原告が妨害行為をしたとの主観的認識を強くもつているようであるが、それは原告の高橋に対する右抵抗のことをいつているのではないか。

最初に高橋が原告の左腕をひつぱつて排除した蓋然性については、以下にのべる本件現場における高橋の言動からも十分にうかがわれる。

(二) 高橋の本件現場における言動の荒つぽさ

(ア) 高橋は、広場入口ないしその北側道路上でけんかの相手である尾形から事情を聴取したというが、尾形の話によると、同人が広場入口付近にいる時、長い棒を持つた私服の人が、警察官であることも告げずいきなり「おまえか!」と叫んで、同人の腕をひつつかんできた。尾形はこれに対し「わしは違う」といつてひつつかまれた腕をふりほどき自分は被害者である旨申し述べたというのである。この有無をいわせず尾形の腕をひつつかんだのが高橋だつたことは明らかで、これが高橋の「事情聴取」のやり方である。

(イ) 次に、高橋は広場の方へ眼をやるや、棒を構えて「どいつや」と叫び、これに対して林が「やるんならやつてみい」といつたところ、「やつてやろうか。」「おどれくるんなら来い。」と売り言葉に買い言葉の汚ない言葉で激しいやりとりをしている。

原告が、高橋に対して「何もしとらんのに警察ゆうたら棒もつてこないかんのか」といつた時も「おお、持つて来るんじや」と大声で叫んでいる。ところが、高橋の原審証言によると、原告が高橋の左手首辺りをつかんできたとき「そんなことをしていたら公務執行妨害になるぞ。のきなさい。」と何回も言つたというがひどく興奮していた高橋がいつた言葉とは解されない。

(ウ) 高橋は、丸亀署において昭和四八年以来暴力係で、おそらく荒くれ男を前にして、逮捕、取調べのときには多少荒つぽくやつていたのであろう。その荒つぽさが本件現場における同人の行動に如実に表われている。

4 乙第七号証は、原告が法務局人権擁護部に受傷のことを訴え、昭和五四年七月三〇日法務局から香川県警への調査依頼があつた(乙第一号証参照)日の翌日の八月一日に丸亀署の警察官が録取したもので、いわば警察の法務局への弁明書の一資料として作成されたものであるところ、この乙七号証の中で、尾形美代子は警察の人が林を捕えるのを原告がじやまをしている感じであつたと供述しているが何ら具体的事実は述べていない。ただ、原告が警察官の服をつかんでいた様にみえたとの供述があるが、原告は高橋に左腕をひつぱられた際、あまりの痛さに右手で高橋の腕をつかんだことがあるのでその時のことを述べていると思われる。

この原告が高橋の「じやまをしていたようです」の言葉は取調べ官が押しつけたものであることは、ちようど尾形美代子と同様の調書をとられた宮家光晴の原審証言で明らかである。

三  原告が後記被告主張の生活扶助金の給付を受けていることは認める。

(被告)

一  原告の前記一、二の主張は認めない。

二  原告は本件現場で林の妻をさしおいてまで傷害の現行犯人である林を逮捕するため林の方へ行こうとしている高橋の前進を阻止し、高橋の身体に必死でしがみつくなどして、高橋の公務執行を執拗かつ強引に妨害したのであり、高橋が原告の手にいわゆる小手返し技を用いるなどして、右の妨害を排除したのは、やむを得ず必要最少限度の実力を行使したもので、相当性を逸脱しておらず、警察官として当然の責務を果したもので、正当な業務行為であり、違法性がないので、不法行為に該当しない。原判決は、高橋において原告を穏やかに説得すべきであつたとして説得による妨害排除が可能であつたかの如き認定をしているが、これは当時の現場の状況や、原告の妨害行為の程度を誤認したことに基づくものである。

三  仮に高橋の妨害排除行為が不法行為に該当するとしても、右薬指第二節骨折等の傷害に関しては、過失行為であつて、故意によるものではない。

原告の左手を逆にねじつて妨害を排除しようとした高橋は、原告が尻もちをつくとき、わざわざ自らの右手を尻の下にもつていつて右手の薬指を骨折するなどという通常発生しえない傷害の結果についてまでの予見はなかつた。つまり、高橋には、右損害発生に対する認容はなく、また自己の行為と損害との因果関係についても予見や認識がなかつたのであるから、右傷害部分については、過失をもつて責任を問われるべきである。

四  本件は原告の公務執行妨害が原因であり、この違法な妨害行為がなければ原告の傷害が生じなかつたのであるから、原告の過失の方が重大であり、少なくとも原告の過失を六割、被告側の過失を四割とすべきである。

五  高橋の原告に対する実力行使が不法行為に該当するとしても、原告の逸失利益・休業損害額から原告の受給している生活扶助給付金を控除すべきものであり、その受給状況は次のとおりである。

1 昭和五四年九月一日から同五六年一二月一日までの間、身体負傷による就労不能の理由で月額四万四八八〇円ずつ

2 同五七年六月一日以降は病気による就労不能を理由に月額四万六八〇〇円ずつ

第三  〈証拠関係略〉

理由

一当裁判所は原審で提出された証拠に当審で追加された証拠を総合検討した結果、高橋が他の警察官数名とともに林を傷害犯の準現行犯人として逮捕しようとしている現場で、原告が高橋の腰や腹辺にかかえつくなどしたのは、公務執行の妨害であるから、高橋が逮捕の実行性を確保するに必要かつ相当な手段方法で、原告に対し有形力を行使することはもとより適法であるが、本件の場合、高橋が、右手で原告の左手をにぎつて逆にねじるようにした有形力の行使は、当時の状況に照らし必要かつ相当な手段方法の限度を超えた過剰行為であつて違法性をもち、不法行為を構成すること、被告の責任、原告の本件傷害の部位程度、後遺症の内容程度、原告の損害額、原告と高橋の過失割合はいずれも原判決の理由第一、第二、第三の一ないし六に説示のとおりであるから原判決の右の説示部分を引用し、原判決理由第三、七(原判決一九枚目表一一行目以下全部)以下を後記二のように改める。但し、原判決一二枚目表七行目の「原告」を「原審当審における原告」と改め、原判決一四枚目表二行目の「高橋の手をつかむ」を「高橋の手をつかんだり、同人の腰や腹辺にかかえつく」と改め、原判決一七枚目表一行目の「故意の不法行為」の次に「(高橋が右手で原告の左手をつかんで逆にねじるようにした有形力の行使は、もとより高橋の認識認容にもとづく実力行使であるから、この不法行為は故意によるものである。)」を加え、原判決一七枚目表六行目の「第一五号証」を「第一六、一八号証、原告主張の写真であることに争いがない甲第一七号証」と改め、同枚目表七行目の「原告」を「原審当審における原告」と改め、原判決一九枚目表七行目の冒頭から同九行目の末尾までを「、他方、高橋の原告に対する有形力の行使の態様程度のほか、それにより原告に本件傷害を負わせるかも知れないことを高橋が予見できなかつたとはいえないこと等各般の事情を総合勘案すると、当事者双方の過失割合は原告の過失が四で、被告側の過失が六であるとみるのが相当である。」と改める。

二原判決一九枚目表一一行目冒頭〈編注、七 弁護士費用〉以下を次のとおり改める。

七 以上のごとく、本件不法行為に基づく損害賠償として被告は原告に過失相殺後の金額一〇八万九八二六円とその遅延損害金及び後記弁護士費用を支払うべきところ、原告が昭和五四年九月一日から同五六年一二月一日までの二七か月間は月額四万四八八〇円ずつの同五七年六月一日以降は月額四万六八〇〇円ずつの生活扶助給付を受けていることは当事者間に争いがない。生活保護法による生活扶助は同法により国民の困窮を救う福祉行政としてなされるものであるから損害額から控除すべきでないと考える余地もあるが、生活保護法による扶助にあてられる費用は国と地方公共団体から支弁されるものでありかつ本件は高橋巡査部長の公務執行上に生じたもので、原告になされた扶助も本件事故による傷害のため働けなかつたことを理由とするものであるから、次のとおり原告が事件後の昭和五四年九月一日から症状が固定した同年一一月二二日までの二か月と二二日分の生活扶助は休業損害から、その翌日から同五六年一二月一日までの二四か月九日と同五七年六月一日以降本件口頭弁論終結時の同五八年二月三日までの八か月と三日間の生活扶助はその逸失利益の損害から控除するのが相当である。本件口頭弁論終結時以降の分はこの生活扶助がそのままであるのかいつまで続くのか不確定なので控除すべきでないと判断する。

(1)  休業損害から控除すべきもの一二万二六七二円

(2)  逸失利益から控除すべきもの

逸失利益はホフマン係数で算出されているのでこの控除金額もホフマン係数で現価を算出するのが相当である。

右の合計一四〇万九一二一円

右によると逸失利益五四万七三九二円の六割の三二万八四三五円を上回る金員が支払われたので逸失利益の損害は補填されたといわねばならない。

八 以上のごとくであるから、被告が原告に賠償すべき金額は、休業損害四四万七二〇〇円の六割の二六万八三二〇円から一二万二六七二円を控除した一四万五六四八円に治療費等と慰藉料の六割である四九万三〇六八円を加えた六三万八七一六円である。

九 弁護士費用

原審における原告本人尋問の結果によると原告は本件事件を原告代理人らに委任し成功報酬として請求認容額の一五パーセントを支払うことを約したことが認められるところ、本件事件の諸般の事情を考慮し、弁護士費用として本件不法行為と相当因果関係のある金額は金一〇万円を以て相当と認める。

第四 よつて原告の本訴請求は被告に対し前記八、九の金額合計七三万八七一六円及びそのうちから弁護士費用を除いた六三万八七一六円に対する本件不法行為後である昭和五四年一一月二三日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので、認容するが、その余の請求を失当として棄却すべきものである。

三よつて、原告の本件控訴は理由がないので棄却し、被告の控訴は一部理由があるので、原判決をその旨変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条前段、第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言はその必要なしと認めこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(菊地博 滝口功 川波利明)

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